2011年を振り返り、僕の最大の変化はツイッターで情報発信を始めた事。アカウントを登録し、使い始めたのが、なんと311東日本大震災発生の約1時間前。
ツイッターには以前から興味があり、何冊かの関連書を読みつつも、正直な話、その有用性や可能性について懐疑的であった。
ツイッターって何が面白いんだろう?
この漠然とした問いの答えは、震災直後、すぐに理解ができた。
震災後、タイムラインに流れる震災と原発関連のニュースの速度と多様性、ツイッターが持つポテンシャルの高さに驚愕した事を今でも鮮明に覚えている。そして、テレビ報道が如何に硬直化し、横並びであったかを痛感した。
当初は震災・原発関連の情報取得が主な用途だったが、次第に全く異なる有益な情報を発信をするクラスタの存在に気が付き、その中で積極的に情報発信をする酒井さん@elm200の存在を知った。
酒井さんは個人情報の公開について積極的だ。個人情報公開の便益について、《情報共有純利益=情報共有便益ー情報共有技術コストー情報共有社会コスト》と定義している。情報技術コストが限りなくゼロに近づいた現在は、積極的に個人情報を公開する方が、例え情報共有社会コストが多少増加したとしても、情報共有便益の方が遥かに高くなり、結果として情報共有純利益の最大化が実現すると考えている。
その証拠に、酒井さんはブログ「現代におけるカネというもの」で収入と資産についても公開している。これは僕にとって非常に衝撃的でした。常に「常識は疑え」と言ってはいたが、非常にブッとんだ想定外の問いを投げかけられた気がした。
僕の考えは、酒井さんと決定的に乖離している訳ではない。彼の主張は感覚的には理解可能だ。しかし、個人情報公開の便益について、まだ主観的にしか合理性・非合理性を判断する基準が存在しておらず、俯瞰して第三者として見た場合、確信が持てない状態なのだと思う。
【個人情報=資産、この定義は本当に成り立つのだろうか?】
コンビニでは会計時に顧客の情報(性別、推定年齢等)のデータを収集している。Googleの検索エンジンは世界中の情報をインデックス化し、独自のアルゴリズムで、効率的に情報アクセス可能にし、検索連動型広告でマネタイズ可能な金脈を掘り当てた。
ウェブサービスの収入源として、バナー広告やGoogleアドセンス、アマゾン・アソシエイトが挙げられるが、この点も個人情報と密接に関係している。おそらく、これらのサービスに企業が価値を見出していることから、個人情報に基づく広告宣伝戦術が売り上げ増に直結している事が伺る。
『個人情報=資産』は購買機会の確率を高める為には有効的であり、最も重要なのは情報の鮮度であると思う。例えば、子供の年齢と性別が分かれば、ピンポイントなマーケティングと広告宣伝が可能になるはずだ。
【FaceBookとポジティブゲーム】
ネットの実名主義を強力に推し進めるのはFaceBookだ。ザッカーバーグが目指す世界はポジティブゲームから成るネット環境の構築。「悪貨は駆逐可能か?」に対する答えとして、実名主義をネット世界の常識にしようとしているのだと思う。
Facebookには年齢、性別だけでなく、学歴、職歴、宗教、政治的志向すら開示する入力欄がある。恋人の有無、恋人のFaceBookページすら開示する人もおり、恋人(だと思っていた?)のFaceBookページ欄で、初めて自分がフラれていることに気付くなんてことも、ありえそうだ。
仮に実名主義がネット世界で常識化した場合を考えてみよう。それでも匿名でしか発言しない人に対して、実名で発言している人はどう思うだろうか?おそらく「何か、やましい理由があるに違いない」と思うのが合理的だ。つまり、実名主義と匿名主義の関係はナッシュ均衡の関係にあるはずだ。
考えてみると、ポジティブゲームは何かに似ている事に気が付く。企業と株式市場の関係だ。上場企業は市場に監査済みの財務諸表の開示が義務付けられ、その開示情報により、企業が市場に評価され、株価に反映される仕組みだ。
ポジティブゲームは評価獲得ゲームだ。他者からの評価獲得の多寡により、利益獲得の機会と信用が異る。酒井さんはポジティブゲームに可能な限り速く対応することが、先行者利益を獲得する為に、最善の戦略であると考えているのだと思う。
果たしてポジティブゲームがネットに定着するのだろうか?
この想定によって、取るべき戦略が異なるはずだ。
【想定するリスク】
ネットの特性として、一旦公開した個人情報は自分自身でコントロールできない場合が多い。注目度が高くなれば、ミラーサイト、魚拓等がネット上に拡散し、制御不能に陥りる。自業自得だが、問題発言や武勇伝の暴露は、いわゆる「祭り」状態になる事も多く、収拾不可能に陥ることも少なくない。結果、本人や関係者が謝罪と弁明に膨大な時間を費やす事例が後を絶ない。
その際に考慮すべきは、実名での発信が「祭り」状態にあったら、どうなるだろうか?
仮に匿名であったとしても、過去の公開情報の内容次第では、実名、勤務先、住所等々を、かなり正確に推定され、自分が公開していない情報(嘘の情報も含め)も勝手に公開されてしまう可能性は否定でない。フジテレビの騒動で、ネトウヨ・鬼女がフジテレビ社員のツイートに激怒し、個人情報などを調べ、ネットに公開した事は記憶に新しい。
反原発デモに公安が対応した事実を踏まえれば、公安もネットでの発言に関心を寄せていると、容易に想像可能だ。彼らに関心を持たれれば、個人情報を公開していた場合、簡単に目を付けられ、公安お得意の別件逮捕(個人を徹底的にマークし、軽犯罪を見つけ、逮捕・身柄を拘束する)の可能性は否定できない。
そのように考えると、「痛くない腹を探られるのは勘弁」と考えるのが現在の所、僕には合理的に思える。
ある意味、情報発信と個人情報の公開は表裏一体の関係にある。個人情報を全く露出せずに情報発信することは、ほぼ不可能だ。発信内容からは行動範囲や趣味志向だけでなく、交友関係や家族関係まで推測が可能な場合がある。
個人情報公開に積極的な人達も、自然と公開内容の範囲を取捨選択しているはずだ。これは実社会と同じで、自然と防衛本能が働く結果ではないだろうか。
では、なぜ個人情報を公開するのだろうか?
有益と思える情報には評価が集まる。ソーシャルメディアは属人性が非常に高い。発信内容に信頼性を紐付けるのが、発信者の経歴(個人情報)である。
ただし、調子に乗って経歴などの情報を盛ってしまう事の危険性には注意が必要だ。ちょっとした承認欲求や出来心などが過剰になり、嘘がバレた場合、失う信頼は少なくない。「嘘は必ずバレる」と言うことは肝に命じるべきだろう。ポジティブゲームは評価獲得ゲームなので信用の失墜は致命傷だ。情報発信リテラシーが重要になる。
【取るべき戦略】
情報技術コストが限りなくゼロに近づいている以上、リスク対効果の関係で情報共有純利益を想定する事が合理的だ。戦略として、個人情報公開の効果が想定できない場合は、リスクの方が、どうしても高く思える。つまり、戦略が無い以上、無意味に個人情報公開に踏み切る価値を見出せない。
とは言え、僕自身ソーシャルメディアで情報発信する楽しさに気付き、ポジティブゲームの可能性にも非常に期待している一人でもある。僕のソーシャルアセットは、酒井さん達のような実名で発信している人達より遥かに低い。これは戦略上の問題かもしれないが、他者から与えられた価値が低いことに他ならない。その意味では、戦略の大幅な見直しも考慮する必要があると感じる時が来るかもしれない。
振り返って見ると、5年程前には実名で発言する人は、非常に特定の著名人だけであった。著名人には知名度を上げる手段として、十分なインセンティブがあったからだ。ましてや、一般人が実名で発言するなど、皆無と言っても言い過ぎではなかった。
現在では実名で発言する一般人が驚くほど増えている。実名での発言の方がインセンティブ有ると公言する人も少なくない。少なくとも「匿名、実名」の戦略議論ができる程、ネット環境が変化・成熟しているのは、紛れもない事実である。
おそらく価値観の変化に確信を持つ人と、感覚的には理解しつつも合理的に理解不可能な人との違いなのだと思う。
僕はまだ20世紀的価値観に支配されており、新しい価値観を本能的に理解できるものの、合理的に説明ができず、客観的に理解不能なままだが…